いつも何故と問うているか?
いきなりですが、人間考えなくなったら終わりだと思っています。
思考止めたらそこで終わり。
・大学に行かないと良い会社に入れない
・テレビや新聞に書いてあることは真実
・結婚しないと幸せになれない
・サラリーマンになって会社に雇用されないと生きていけない
・上司や先輩の言うことは絶対
なんて思考の止まった人は考えるでしょう。
でも、このような考えはマジョリティであって正解ではありません。
正解だと思って考えなくなったら終わりです。
それ以上なにも生まれません。
水曜どうでしょうのディレクターの方が書いた日記を読んで、
改めて、常にに疑問を持って考えていかないとなーと考えされました。
以下日記の抜粋です。
http://www.htb.co.jp/suidou/
(飲み屋での会話です)
藤村さんが、
「年寄りってさぁ、なに話してるんだろうね?」
と、ひっそりと言うのです。
「え?」と思って、藤村さんの視線の先を振り返りますと、
70がらみの御老人がお二人、
卓をはさんで熱心にお話しされておるようすで、
わたくしは言いました。
「いや。多分オレらと同じこと話してるよ。原発事故のこととか、震災のこととか、世の中の事とかね…」
「うん」
いつの頃からか、
世間が年寄りに興味を持たなくなったから、
年寄りが考えている事にも興味がなくなったのだと思います。
いや、そもそも、年寄りは、考えたりするものじゃないとまで思っているのかもしれません。
そうやって年寄りは、いつか、
なにか不思議な存在になっていったのかもしれません。
大昔であれば、古老というのは知恵者です。
この目で見、この耳で聞いてきた、
経験という、若者にはない知識が、知恵が、
豊富に蓄積されてある者だったはずです。
でも、知識はやがて書物に頼れば好いものとなり、
今はインターネットでなんでも検索出来る時代ともなれば、
年寄りを古老と敬う遠慮もないでしょう。
そうしてますます世間は年寄りのことを考えなくなる。
それでも当然、年寄りは存在するから目にするけど、
結局、若者の若さを引き立てるような存在としか見られなくなっているのかも知れない。
私は言いました、
「オレ思うけどね、オレもさ、年を取ってるって自覚はないからさぁ…。いや、もちろん、体力はおちるし、人の名前も覚えられなかったり、その辺のさぁ、はなはだしくなるのには驚くから、年取るなぁって思うけど…、でも基本、年をとっても、それで自分が変わったという自覚は生まれないんだよ…、どなに年寄りになっても、若い頃の気持ちのまま生きてるはずだよね。だったら間違いなくオレらとおなじように考えてるよ、当たり前にさ、そしてさぁ、くだんない話をしたり、この国のことを心配したりしてると思う。だから、年寄りにもっと話を聞いてみると当たり前に面白かったりってこと、ぜったいあるんだよ…」
「うん」
藤村さんは、どことなく得心のいった様子で、
またビールを飲み始めました。
わたくしは、ビールを飲む藤村さんに言いました、
「あんたは、そういう人だよね」
それを聞いて、藤村さんは、「え?」という顔をしてわたくしを見ました。
わたくしはそう思うのです。
あの人は、そういう人です。
「年寄りって、なに話してるんだろうね?」
「不景気になる不景気になるって騒いでるけど、不景気になるってイケナイことなんだろうかね?」
あの人はそういうことを言う人です。
「この道ってさ、誰も通らないし、草ぼうぼうだし、人の通らない道みたいに言ってるけど、でもこの道ってさぁ、通っちゃいけないのかね?」
「え?いや、どうだろね…?考えたこともなかったけど」
そして、
そうやってね、通ってみると、
意外に駅に一番近い道だったりする。
そして、そこを通っても、結局なんの不都合も起きない。
そんなことがある。
その道を誰も通らなかったのは、通れない道、通っちゃいけない道だったからじゃなく、たんに、誰も通らないから、通るところじゃないと、勝手にみんなが思い込んでいただけだったりする。
そんなことがあります。
「この道って、通っちゃいけないのかなぁ?」
あの人は、そう言う人です。
そして、
考えるということは、
案外、そういうところからしか始まらないような、気が、
時折わたくしには、するのです。
- 作者: 藤村忠寿
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